WFCからのお知らせ

「ひろしま国際村〜世界の屋台」には、本当に沢山の方々にお越し頂きました。おかげさまで、“Sloppy Joe”無事に完売いたしました。ありがとうございました。
「WFCに昔、通っていたんです。」と懐かしいお声も頂きました。
また、様々な国の方とお話できた事も嬉しかったです。
下準備から沢山の方々にお手伝い頂きました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
特に今日は、若い方々がお手伝いに入って下さり、沢山支えて頂きました。とても感謝しています。ありがとうございました

初めての出店に緊張もありましたが、おかげさまで無事に終えることができました。
WFCを少しでも知って頂くきっかけになっていたら嬉しいです。
事業部門では、WFCで行っている平和活動や創設者バーバラ・レイノルズと彼女の歩みについて、また館長のマシューとマラカイがアメリカと日本での生活について発表をしました。その後、質疑応答の時間には、会場の皆さんからたくさんの質問をいただきました。参加された皆さん、ありがとうございました。とても楽しい午後でした。
国際フェスタ2022の写真は、WFC公式Facebookでご覧ください。

皆様お変わりありませんか?
2017年〜2019年に、WFCの館長を務められたダニーさんバーブさんが現在、広島に滞在されています。
今回、バーブさんとダニーさんをお迎えし、久しぶりにフレンドシップ・アワーを開催いたします。
お二人が様々な国を訪れて経験したこと、またそこで出会った人々との思い出など、撮影された写真などを共有しながらお話いただきます。また、現在の世界情勢や、“平和”への思いもお話いただきます。
※英語でのお話になります。
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日時:2022年11月26日(土)午後2時〜4時
(開場:午後1時30分)
場所:アステールプラザ 4F大広間
広島市中区加古町4-17
参加費:500円
申し込みリンク:
皆さまのご参加をお待ちしております。

「学びのコーナー」と「ひろしま国際村〜世界の屋台」に参加いたします。
☆「学びのコーナー」13時30分から15時30分
「“私もまた、被爆者です。”アメリカ人女性が築いた国際交流」と題し、広島市名誉市民のバーバラ・レイノルズと、彼女が創立したWFCの活動の歴史についての講演をいたします。
☆ひろしま国際村〜世界の屋台 10時〜
“Sloppy Joe”と“coffee”の販売を行います。
沢山のイベントが用意されております。
是非、WFCのブースにもお立ち寄り頂けたらと思います。みなさまのお越しを心よりお待ちしております。

紅葉が一段と色を増す季節となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
11月のWFCつたえる講座は、ヒロシマ・ フィールドワーク実行委員会代表 中川幹朗さんによる講座です。
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WFC Hiroshimaを つ・た・え・る基礎講座のお知らせー11月
中川幹朗(なかがわもとお)さんに聴く 2か月連続企画
「原爆納骨安置所と佐伯敏子さん」
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「広島には歳はありません。広島に歳をとらせないでください。」
原爆で亡くなった方々への思いを、自らの命尽きる日まで持ち続け、
戦後、世の中がどんな変化を遂げようとも
原爆納骨安置所の前で、1945年8月6日という日に、
一人、立ち続けていた佐伯敏子さん。
“広島に歳をとらせないで・・・”
この佐伯さんの思いを、
私たちは聞き流してしまっていないだろうか・・・。
およそ7万人の御遺骨が納められている原爆供養塔。
名前が明らかになっている814名の御遺骨を
家族の元へ届けることが出来る最後の数年の中に私たちは生きています。
講師に中川幹朗さんをお迎えし、
「原爆納骨安置所を守り続けて 佐伯敏子さんの証言」を発刊された
思いや、中川幹朗さんの心に生きる佐伯さんについてお話頂きます。
沢山の御参加お待ちしております。
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日時:11月26日(土)午前10:00-12:00
定員:先着65名
会場: JMSアステールプラザ4階大広間
※座布団に座っての講座となります。椅子は数脚準備する予定です。
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【本注文について】
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会から発刊された、こちらの本を事前に読んでいただけますと、よりわかりやすい講座になると思います。ご希望の方がおられましたら、以下の情報をメールでWFC事務所
必要情報:お名前、電話番号、メールアドレス、受け取り時期(
日本語版¥1,500
【お願い】
- 新型コロナウイルス感染拡大防止策にご協力ください。
検温、マスクの着用、手指消毒等。体調がすぐれない方はご参加をお控え願います。 - 止むを得ず中止させていただく可能性もあります。 ご理解のほどよろしくお願いいたします。
【お支払い方法】
★クレジットカード決済
★当日現金でのお支払い

また、下見から資料準備まで何度もお力添えくださった講師の中川幹朗さんに心より感謝申し上げます。
ご参加頂いた皆様の感想(共有可能)をシェアさせていただきます。
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(50代)
現在平和公園になっていますが被爆前にはたくさんの方が生活し日常を送っておられたことは知っていました。しかしどうしても実感できない、想像しがたい面がありました。今日実際に生活をされていた方々の声を聞かせていただき生き生きとした当時の人々の姿が目に浮かびました。
とても貴重な話ばかり、先生の強い想いも含めて伝えていきたいと思います。
画集も記憶の解凍もゆっくり見ていこうと思います。
ありがとうございました。
(60代)
快晴に恵まれた平和公園の美しさ、ゆたかな水をたたえた川の流れが、胸にしみるフィールドワークとなりました。中川さんのおまとめになった様々な方々の記録・記憶が、現地を歩き、説明をうかがうことで、立体化するというか、立ち上がってくる感じでした。誓願寺の池のカメを主人公にしたもの、川底で遺物を探す子どもたちを描いたものなど、中川さんの出されたものから、インスピレーションを得て、いくつかの子ども向けの作品を書くことができた私としては、フィールドワークを実施していただき、さらに理解も深まりました。ありがたく御礼申し上げます。お話の通り、原爆資料館耐震工事の際の、地階遺構は、ほんとうに何らかの形で残しておきたいものでした。残念でなりません。
次回、佐伯敏子さんについてのお話、楽しみにしております。
中川さん、スタッフのみなさま、ありがとうございました。
(60代)
核兵器廃絶を訴える上で、一番効力となるのは、実際に原爆を体験した被爆者の声です。だんだん被爆者の数は減っています。今日の講座のように、被爆者に直に聞いたことを、現地に出向かい、かつ残された資料、写真、描かれた絵など使って、原爆がもたらす惨事、家族との別れ等を被爆者に代わって語り継いでいくことことは、今後の課題だと痛感しました。
アプリを使ってフィールドワークをするのもいいですね。ただ、慣れない私には、お話しに集中できなくなることがあるので、気をつけねばなりません。
(60代)
レストハウスでの重富さんの街並みの絵の展示を見、ハチドリ舎で本を手にして、絵とともに添えられた文章を読んでいたので、今回の中川さんのお話をお聴きしながら現在の建物の並びに被爆前当時の建物の並びを重ねていました。すると、当時子どもだった森冨さんや友達がこの界隈で自由闊達に遊んでいた姿も見えるようでした。そうした子供時代の大切な思い出を、街もろとも、家族や友だちも何もかもを、一瞬にして失った悔しさ、悲しさがあったからこそ、記憶に強烈に焼き付けられた家並みになったのだと合点がいきました。「陳列館」の展望台からの鳥瞰図になっているのではないか、との説明も印象的でした。
中島地区は、公園ではなく、人々がにぎやかに暮らしていた「地域社会」だったことを確認できました。ありがとうございました。
(70代)
今日は秋晴れのフィールドワーク日和、ゆっくり歩くことができました。
被爆の実態を聞くこれまでの回と違って、被爆以前の街の姿、人々の生活が主で、なんかいろいろ想像しながら、懐かしいような思いで聞かせていただきました。
常友寝具店に馬が飛び込んでも、怒らなかったという話に、思わず「うま~い話し!」なんて口に出そうになるなど、当時の人々に触れさせてもらった時間でした。
これからは平和公園の噴水を見ても、そのしぶきの向こうから、当時池だったというその池の周りで遊ぶ子供たちの声が聞こえてきそうな気がします。
ありがとうございました。
(60代)
参加させていただいて、本当によかったです。中川さんやスタッフの方々に、準備も含めて感謝いたします。実際にその場に立って、その方々の写真を見せていただきながら、そこに暮らしていた方々のお話をお聞きするなかで、そこに町があったこと、人々が暮らしていたこと、その人々がどのような方々であったかということなど、いままで漠然としていたことが、肌で感じられるような気がしました。ありがとうございました。
(70代)
中川さんの当時の中島地区の人を巡ったフィールドワークはその人たちの生活や思いが身近に感じられてとてもよかったです。
準備資料も事前に手にすることができて、中川さんの口から出てくる名前をその場所で確認できました。
いろいろ質問したいことがありましたが、その時間がなくてそこが少し心残りでした。
中川さんの紹介された「消えた鳥屋町」、また中国新聞の発行した少し大きい中島地区の住居地図など欲しいと思いましたが、手に入れる方法を教えて下さるか、次回の時に購入できるようにしていただけると嬉しいです。
ありがとうございました。
(70代)
中川講師、スタッフの皆様お世話になりました。
楽しいフィールドワークありがとうございました。かつて中島地区や猿楽町に住んでた方々のエピソードが面白く、長田屋のお好み焼き屋の前を通る度思い出しそうです。
歴史の資料には残らない市民の暮らしがあったこと、本当によくわかりました。
誓願寺には厳島神社の分祠があり、戦前は広島市全域、まちをあげての大祭だった事を聞いたことがあります。
原爆により失われたものまだまだあるのかも知れません。ありがとうございました。
(60代)
森冨茂雄さんの画集を初めて拝見した時は、森冨さんの絵の詳細さと驚異的な記憶力に感銘を受けました。どうやったらあれほど詳しい絵が書けるのか、戦後かなり経っているのに何でこれほど記憶が鮮明なのか、不思議でなりませんでした。
今回はフィールドワークで実際にその場所に立ち、中川さんの微に入り細に入る説明を聞くことで、現在と過去が一気に結びついたように思えました。爆心地付近には原爆投下前には平和な営み、ごく普通の(戦時中ではありますが)生活があったこと、それが一瞬にして奪われたこと。これまで知識として「知って」はいましたが、なかなか「感じる」ことができませんでした。
「すずさん」のお話も面白かったです。あの映画はあそこまで細部にこだわって作られていたのですね。お話を思い出しながらもう一度見てみようと思います。
また原爆納骨安置所での中川さんのお話も深く心に残りました。高橋久さんのお話、撤去された碑のお話。素晴らしい企画をありがとうございました。次回のイベントにもぜひ参加したいと思います。
(60代)
改めて原爆が落ちる前は、賑やかな町で人々の生活があったんだな、と思いました。それがたった一発の原子爆弾で完全に破壊された、本当に理不尽だと思いました。
私の実家の墓も戦前はこの地域にあり、墓石には被爆の痕跡が残っています。(現在お寺は別の場所に移っています。)
もう一度森冨さんの絵を見直してみようと思います。
中川先生、貴重はお話をありがとうございました