2025年度Hiroshimaを つ・た・え・る 基礎講座 第1回を開催 「”つたえる”ということ-杉浦圭子」

猛暑の中、2025年度Hiroshimaを つ・た・え・る 基礎講座 第1回「”つたえる”ということ-杉浦圭子」にご参加いただきありがとうございました。

また、講師の杉浦圭子さんには、NHKのアナウンサーとして長い間、被爆者の方々の声に耳を傾け、ヒロシマのメッセージを発信されてきたご経験、現在のお父様の家族伝承者として、新たな歩みについて、優しく、穏やかに、語っていただき、感謝いたします。

沢山の方にお手伝いいただき、ありがとうございました。

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【アンケートにお答えくださりありがとうございます】

講座にご参加頂きました方のアンケートを共有させて頂きます。
(共有可能とお答え下さいました方のみ)

80代

杉浦圭子さんについて、初めてお話をお聞きしました。アナウンサーの立場からの表現の制約での悩みがわかりました。

NHKを離れて自由に活動を開始されて以後の益々の御発展・御研究をお祈りいたしております。

10代

杉浦さんが被爆体験伝承者として活動される前のお話や、アナウンサーの活動を通して学ばれたことなど様々なお話を聞くことができてよかったです。貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

10代

「ヒロシマの羅針盤」という言葉を初めて聞いたが、とても良いスローガンだと思った。被爆二世の方のお話を聞く機会はあまりなかったので、今日話を聞けて良かった。

10代

杉浦さんのお父様の話が特に印象に残りました。黒い雨の話は比較的最近で自分でも少し知っている話だったということもありよりスっと理解できた話の内容だったと思いました。

10代

今まで知らなかったお話を沢山聞くことが出来てとても面白かったです。今日の講義を聞いて高校生の私でも平和のためにできることがあると分かったのでこれから色んな平和の取り組みに参加したりなどして自分なりに取り組んでいきたいと思いました。

10代
杉浦圭子さんのお話を聞いて、アナウンサーから家族伝承者になるまでの出来事や思いを知ることができて良かったです。アナウンサーは確かに原稿通り正しく読むというイメージあるのですが、それではいけないのだと言われていたことに驚きました。そして、広島に来て伝承者となって、平和と向き合っていくようになったのだと分かりました。あくまでも父の伝承者だということを忘れずに活動しているというのが印象的でした。私も平和活動を行っていくときの自分たちに出来ることを教えていただいたので、それを実践していきたいと思いました。ありがとうございました!

60代
ありがとうございました。とても勉強になりました

70代
杉浦圭子さんが広島に戻られ、家族伝承者になられて活躍されてるのを、とても嬉しく思いました。元アナウンサーなので、人に伝えるのには、説得力があり、こころに響いていること間違いないですね。
私は、平和公園を案内する時に、アオギリの所で、沼田鈴子さんの事を話しています。韓国や中国に行かれた時に自分の被爆体験を語られる前に、日本の加害を謝罪されていたことを、改めて思い起こしました。
以前、英語での朗読をグループに入っていたのですが、坂本はつみの「原子爆弾が落ちると、昼が夜になって、人はお化けになる」というのを英語で読んでいました。私の好きな詩を紹介してくださり、嬉しかったです。

60代
1時間半のお話はあっという間に感じました。
江口保さんのことは全く知りませんでした。修学旅行生と被爆者を繋いで証言が聞けるようにたった一人でそれを始めたその信念と行動力に心から感動しました。私は、今自分にできることをしっかりやりなさいと杉浦さんのお話を通して、江口さんに言われている気持ちになりました。
「みんな、大切なひとり」という言葉を肝に銘じ、私にできることは小さくても非人道的な核兵器が決して使用されることのない世界のために学び続けたいし、学んだことを伝えていきたいという思いを強くしました。
この講座に参加して本当に良かったと思います。
ありがとうございました。

60代

若い方の質問を聞くことができて良かった。

杉浦圭子さんの何故、語り部の活動をされるようになったのかが良くわかりました。

杉浦さんがアナウンサー時代に被爆者の状況を取材された際に、差別の実態や健康不安とかの話を聞かれたことがあれば、聞いてみたかったです。

戦争を知らない世代が世の中の中心になってきているからこそ、危うさを感じます。被爆者の方の実相に学ぶことが必要だと強く思いました。

50代

杉浦さんが語った父親のことと杉浦さん自身の思いが印象的でした。私の88歳の父は被爆者ではないが両親がおらず、戦中戦後大変だったはずなのに、とても前向きな性格なので「苦労なんかしてない、親がいなかったから沢山の人との出会いもあった」と笑って言い、苦労話は聞いたことがありません。先日、初めて「きのこ雲を島から見て、その後、大人たちと誰かを探しに行って、川岸に待たされ焼け野原の町を見た。近所の人が焼けただれて帰ってきて、その顔を見てから3日間ご飯は食べられなかった。その時の記憶から原爆資料館は怖くて行ったことがない。」と言うのを聞いて驚きました。ステレオタイプではない、表面だけでは分からない、人それぞれ色んな複雑な思いをそのまま、受け取らなければといけないと感じながら、杉浦さんの話お聞きしました。

60代

杉浦さんの透き通る声に、心地よく魅了されました。

ご自身のこれまでのキャリア含めて興味深い話がいくつかありました。

東京から広島への転勤になられた時の人生のターニングポイント、広島放送局でヒロシマを改めて学び、多くの先人の方々とつながり、より深く理解し、情報を得る。2回目の広島勤務ではさらにその幅を広げられ、その知識が杉浦さんの語りにちりばめられていました。

そして3回目の広島勤務で、第二の人生はこれだと述べられた家族伝承者へのトライは素晴らしいことだと思います。お父様のこと、改めて知ったこと、気づかされたことなど、なかなか身内から歩んできた道を聞くことは難しいですよね。

私も自分の人生と重ね合わせて聞かせていただきました。私自身も第二の人生でこれで良かったって言えるようなことを模索しています。「みんな、大切なひとり」この言葉を常に持ち続けていきたいと思います。

60代

杉浦さんの貴重なお話を聴かせていただきありがとうございました。優しい口調で心に深く入りました。きっとお父さまとお母さまに大切に育ててもらったのですね、お話でそう思いました。私の両親は被爆者で被爆体験を聞かずに亡くなってしまい家族伝承者にはなれませんでした。しかし、被爆体験伝承者として伝えることの意味を確認できるお話でした。「みんな、大切なひとり」世界中のすべての人が幸せに暮らすことができますように!

80代

アナウンサーだけに与えられた時間いっぱいに話され、さすがと思いました。杉浦圭子さんのアナウンサー時代の様々な裏話がありとても良かったです。

被爆2世ということからNHKでも用いられ、退職しても家族伝承者として「伝えるということ」、杉浦圭子さんの造語「ヒロシマの羅針盤」として揺るぎない精神を語って下さり、私も手本にしなければと思います。

色々多岐にわたり話されそれぞれ感動しながら聞きました。

有難うございました。