WFCフレンドシップ・アワー10/29 (レスリー・スッサンさんと共に) のご案内

2023.10.29 WFCフレンドシップアワー_レスリー・スッサンさん
 
WFCフレンドシップ・アワーのご案内です。
※日本語への通訳があります。

レスリー・スッサンさんと共に~
『ヒロシマ、父と私』

 
 
日時:2023年10月29日(日)午後2:30 – 4:30(開場午後2時)
会場:エソール広島 研修室1・2(広島市中区大手町2-1おりづるタワー10階)
参加費:無料
 
 
 
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「戦争の終わりともに日本が占領された 1946 年父ハーバート・スッサン少尉は願ってもない任務を与えられた。映画の撮影監督として研鑽を積んだ成果を生かし、米国戦略爆撃調査団に参加し、長崎と広島の原爆投下の結果を映像に記録することになったのだ。最初に長崎に到着したときから、彼は未曽有のぞっとすることが起きたことに気づき、それを記録しなければならないと悟った。特に被爆者が苛まれ続ける苦しみを。本国の政府が、こんな映像はアメリカ国民の『興味』を引くものではない。」と判断し、極秘扱いにしたとき、彼は何十年もかけてその公開を求めた。

父の遺志は、遺灰を広島の爆心地に撒くことだった。著者―彼の娘は、1987年に父の足跡をたどり、40 年以上前に父が撮影した被爆者に出会った。その旅を通じて生前知ることのなかった父を発見したのである。」 ― 1946年春、広島市内を映像に記録し、沼田鈴子さん(当時22歳)を撮影した父ハーバートさん。父の遺したオーラルヒストリーから父が日本で見て体験したことを理解しようとする自分自身の探求、そして父、さらに自分の人生に影響を与えた被爆者の物語を記したレスリーさん著『人生を選択する⦅仮題⦆)』より ―

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レスリー・A・スッサンさんは、マンハッタンで生まれ育ち、現在はメリーランド州シルバースプリングに娘のケンドラと猫の「ネコちゃん」と共に住んでいます。レスリーさんは、弁護士としての長いキャリアの中で、米国司法省で訴訟を起こし、出稼ぎ農場労働者や虐待された児童の弁護をしてきました。今は退官して、行政控訴判事を15年以上務めています。彼女は地元ベセスダのクエーカ ー・ミーティングに参加しています。彼女とケンドラは広島に 1987年~88年の1年間住んでいました。

レスリーさんの来日の機会に、ご一緒にお話をお聞きし、交流の時間をもちたいと思います。
ぜひご参加ください。