【お知らせ】広島・長崎世界平和巡礼60周年記念パネル展 (4/7-4/14)

WPSM60周年パネル展2024.03.01最終

WFCでは、広島・長崎世界平和巡礼から60周年を迎えるにあたり、パネル展を実施することにいたしました。お誘い合わせの上、ぜひ、会場に足を運んでいただければ幸いです。

チラシをダウンロードする>

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60年前、世界150都市を巡り、核兵器廃絶を訴えた被爆者たちの軌跡。

1964年、広島・長崎の被爆者25名を中心に、総勢40名が世界へと旅立ちました。その名は「広島・長崎世界平和巡礼団」。一行は、4月半ばから7月まで、核兵器保有国を含む8か国、150都市を訪れ、被爆の実相を伝えるとともに核兵器廃絶と世界の平和を訴え、各地で大きな反響を巻き起こしました。巡礼団の資金は乏しく、その道程はけして平坦なものではありませんでしたが、被爆者自ら世界に人々に訴えるという、それまでになかった画期的なプロジェクトの持つ意味は、計り知れないものとなりました。この巡礼団の発案者・推進者こそ、現在の「ワールド・フレンドシップ・センター」の礎を築いた、平和運動家バーバラ・レイノルズさんその人でした。

本展は、60年間ひっそりと眠っていた平和巡礼団の「記憶と記録」アーカイブズに再び光を当てながら、今日の危機的な世界情勢において、「広島ができることは何か」を、みなさんとともに考えたいと企画したものです。ぜひ、お立ち寄りください。

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ギャラリートーク:巡礼に参加した被爆者が語る、「当時」と「今」。

4月13日(土)午前10時~ 阿部静子さん

4月14日(日)午後2時~ 森下弘さん

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日時:2024年4月7日(日)~4月14日(日)
午前9時30分~午後10時 (初日午後1時~ / 最終日午後4時まで)

場所:合人社ウェンディひと・まちプラザ 南棟1階ロビー(まちづくり市民交流プラザ)
広島市中区袋町6番36号

入場:無料

主催:特定非営利活動法人ワールド・フレンドシップ・センター
後援:中国新聞社

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[お問い合わせ|WFC]

電話 : 082-503-3191 
メール : office@wfchiroshima.org 

“Morishita Papers” 作業ボランティア募集!

Morishita Papers ボランティア募集チラシ“Morishita Papers” 動き出します‼︎
 
広島は今、緊急事態宣言下にありますが、平和活動の歩みを止めず、出来る事から始めるために、”Morishita Papers” 始動します‼︎
と、言っても対面せずに、自宅で一体どんな作業が出来るのか?
 
今回、参加者と共に実際どんな作業をするのか?
オンラインで実際に作業をしながら説明をする会を開きます。
 
参加が出来ない方のために、後日視聴できるようにもいたします。
興味がおありの方は、いつでもお気軽にWFCまでお問い合わせください。
沢山のご参加をお待ちしております。
 
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“Morishita Papers” 作業ガイダンス
 
2021年5月20日 PM2:00〜
 
申し込み不要です
どなたでもお気軽にご参加ください!
 
Zoom参加リンク
ミーティングID: 851 5940 4907
パスコード: 358505
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※”Morishita Papers” についての全体像の紹介と保存作業の概要については、4月17日に開催された“Morishita Papers” 説明会のビデオをご覧ください。

Morishita Papers 説明会
ビデオをアップしました

2021年4月17日にオンラインで行われた“Morishita Papers”説明会のビデオをアップしました。
 
森下弘先生が所蔵されている資料“Morishita Papers”。
森下先生について、またMorishita Papersの保存作業についてもっと知りたい!知ってほしい!
という思いから企画されました。
 
“Morishita Papers”の全体像の紹介と、保存作業の概要についてのビデオです。
ぜひご覧ください!
 
https://youtu.be/bzpSELYdPtM
 

ウィルミントン大学平和資料センター所蔵品ー情報提供のお願い

ウィルミントン大学平和資料センター所蔵品ワールド・フレンドシップ・センターを設立したバーバラ・レイノルズは、1969年にアメリカへ帰国し、1975年にオハイオ州ウィルミントン大学に、平和資料センター、広島・長崎記念文庫 (PRC: Peace Resource Center) を設立しました。

WFCは現在もPRCとは深い関わりを持ち、共にアーカイブズの資料の掘り起こしなどを行っています。

PRCでは現在、大学の所蔵品のオンライン展覧会をする準備をされており、それら所蔵品について、情報提供の依頼がありました。

所蔵品の写真をまとめたPDFを下リンクからダウンロードしていただけます。
<PRC所蔵品写真資料をダウンロード>

どんなに小さなことでも結構です。
これら所蔵品について情報をお持ちの方がおられましたら、wfchiroshima@gmail.comまでご連絡いただけると幸いです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

友愛2021年3月ーアーカイブズが語るもの
立花志瑞雄

WFC つ・た・え・る プロジェクト
ワーキングチームリーダー
立花志瑞雄
2021.3.9

アーカイブス資料の写真

全てのことはつながっているという。であるならば、ワールド・フレンドシップ・センター(以下WFC)アーカイブズは、創立者のバーバラ・レイノルズさんにつながっている。WFCの創立から今年8月で56年。バーバラさんをはじめ創立当時のメンバーの多くが亡くなられてもなおWFCが存続しているのは、何故だろうか。バーバラさんの平和への思いが、WFCに連なる一人ひとりの心のなかで、生き続けているからだろう。バーバラさんの記憶がその人のなかで生き続けている。たとえバーバラさんに一度も会ったことがなくとも。アーカイブズとは記憶の遺産である。

一方、人の記憶ほど曖昧なものはないともいう。実は私は1980年代WFCのスタッフをしていた時期があったが、すっかり忘れていた。WFCの歴史を遡るうちに、自分自身がスタッフをしていたことを思い出した。バーバラさんの生きた証がアーカイブズの中にある。語られた言葉。書かれた言葉。言葉にはその人の思いが宿っている。私達が一つ一つの資料に触れ、読んでいくとき、私達は亡き人たちが、何を思い、平和のために活動してきたかを知ることができる。そして、それを次の世代に引き継いでいくことができる。アーカイブズは記憶を呼び起こし、伝えられることを求める。

話は遡るが6年前、被爆70年を覚える会議のためにプレゼンテーションを依頼された私は、30数年ぶりにアメリカに渡った。その機会に、WFCの創立50周年の催しで知り合ったウィルミントン大学平和資料センターの館長、ターニャ・マウスさんをオハイオ州に訪ねた。ウィルミントン大学平和資料センターは、アメリカに帰国したバーバラさんが創立したWFCと縁の深い組織である。ター ニャさんの案内で、所蔵されている資料の一部を見た。私の心に一番残ったのは、原爆乙女で知られる広島流川教会の谷本清牧師に関して、バーバラさんがタイプしたと思われる資料(何か所にも手書きの修正が加えられていた)である。私は後にWFCの機関紙「友愛」の保存作業のなかで、WFCと谷本牧師の関係を知ることなる。平和資料センターには、その他にもWFCに関係する貴重な資料が保存されていることは言うまでもない。アーカイブズは世界を結ぶ。

2019年8月、ターニャ・マウスさんは、平和資料センターに所蔵されていた長崎の浦上天主堂の被爆十字架を返還するために来日した(その十字架を平和資料センターで私も目にした)。広島にも立ち寄られ、じっくりとお話する機会があった。平和資料センターは、その所蔵資料について、インターネット上で情報を公開しているが、WFCがインターネットを通じて、バーバラさんやその活動の歴史について、発信していくことについて助言を求めた。WFCに保管してある図書文献、資料をカタログ化して、SNSを通じて、発信してはどうかと話された。地元のアーキビストから助言を受けることもすすめられた。

また、私は平和資料センターに人員を派遣して、所蔵されている日本語資料の整理に当たることの可能性について尋ねた。実は平和資料センターには、WFCも関わった「ヒロシマを伝える委員会(HAC)」から、沢山の原爆、平和に関する書籍や資料が送られている。ボランティアの人たちが関わった日本語文献の翻訳資料も送られた。新型コロナウイルスの感染拡大のため、2020年に予定されていた人員の派遣は延期されたが、近く実現することを期待している。アーカイブズは人と人を繋ぐ。

ターニャさんは広島滞在中、WFCの理事長を長く務められた森下弘先生にも会われた。森下先生は、理事長の職を辞されてから、一人ご自分の収集された資料の整理にあたってこられた。先生はWFCでターニャさんに、持参された写真を見せながら、ご自身の資料について話された。  ターニャさんは、森下先生の所蔵されている資料の重要性に気づき、その後、知り合いのアーキビスト筒井弥生さんを先生に紹介することになる(筒井さんは2020年7月に来広され、現在もサポートしてくださっている)。また、この時、ターニャさんはWFCに保管されているダンボール箱の資料をご覧になっている。これをきっかけに、WFCのアーカイブズが俄かに動き始める。

WFC創立当時の資料の多くは平和資料センターに保管されている。しかし、1970年代以降の資料が破棄されることなく、保管されていたことは奇跡ともいえる。資料たちは長い間、ダンボール箱のなかで、その扉が開かれることを待っていたのである。WFCでは2017年度から、被爆体験継承事業、つ・た・え・る プロジェクトを実施している。そのメンバーと共に原爆資料館を訪ね、資料保存について、助言をいただいた。アーカイブズ・プロジェクトの始まりである。

次に私たちが訪ねたのは、森下先生のお宅。膨大な資料が保存されていた。先生が見せて下さったのは、機関紙「友愛」の創刊号である(1967年10月20日発行)。半世紀が経過し、ところどころ破れている。原田東岷先生が書かれたマイ・フォン・ダオさんの記事(ベトナムから来広)、北ベトナムに支援物資をとどけるフェニックス号(バーバラさん一家はフェニックス号で世界を一周し、その帰路、水爆実験区域に乗り入れ、抗議した)に関する記事もあり、時代の雰囲気を感じさせる紙面である。この後、私は機関紙「友愛」を通して、WFCの活動の足跡を辿ることとなる。アーカイブズは、語りはじめた。

基礎講座を開催しました−「WFCのアーカイブズ—資料は語る-」


11月28日(土)、WFC Hiroshima を つ・た・え・る 基礎講座をオンラインで開催しました。

講師は、筒井弥生さん、服部淳子さん、立花志瑞雄でした。
テーマは、「WFCのアーカイブズ—資料は語る-」  

アーカイブズというものについて、詳しくお聞きするよい機会になりました。東京やアメリカからの参加もありオンラインにより世界の人たちと繋がっていける可能性を感じました。

WFCでは、WFCに保存されている資料の整理をはじめ、WFCアーカイブズをつくりたいと考えています。息の長いプロジェクトとなります。
関心をお持ちの方、お手伝いしていただける方は、ご連絡ください。