バーバラ・レイノルズによる「希望の都市 広島」

バーバラが1969年に広島を立ち去る時に、ヒロシマの人々に、未来の世界平和に向けての彼女の願いを述べています。
希望の都市としてのヒロシマの将来に対する彼女の思いが綴られている、お別れのあいさつです。


1年に一度、8月6日の前だけ、世界は広島を思いだします。ジャーナリストなどが、個人的・イデオロギー的な関心に応じて、復興し、繁栄している都市の物語又は今も続く絶望的な状況を報道するために、多勢やってきます。政党グループは、「平和」集会をするために、死者を祀った記念碑の前に押しかけます。観光客も数千人とやって来ます。

それ以外の時期は、被爆者は孤立した集団です。地元の広島や長崎で、誤解を受け無視されています。日本の他の地域では、もっと孤立しています。被爆者たちが世界に警告を発するとか、特別な理解や援助を求めようとすれば、誰もが一緒になって、彼らを黙らせてしまうのです。

自国の人々は彼らを拒絶しています。彼らの悲劇を政治利用し、被爆した土地から追い出し、彼らの街の観光で利益を得て(観光客が彼らの気持ちを理解できるようにする努力も、障害者が観光で落とされるドルから利益を得られるようにする努力もしないまま)、人々は、彼らの不安や放射線の影響に苦しみ続けているという主張を嘲笑しているのです。そして、まわれ右をして、「死の灰」を浴びたことによる健康や遺伝的なリスクを理由に、仕事や結婚において彼らを差別してきたのです。

他の国の人々はヒロシマを象徴として使ってきましたが、被災者個人に対してはほとんど何もしてきませんでした。彼らは、慈善事業や政府の援助という冷たいおざなりの慰めを必要とする以上に、人間としてその犠牲を意味のあるものにするための道徳的支援と理解を必要としているのに、です。

そして、世界の国々が、過去に途方もない惨禍をもたらした核時代以前の解決策になおも信頼を置き、権力政治(パワー・ポリティクス)のロシアンルーレットを続け、広島と長崎を破壊した核兵器の2千~3千倍の破壊力を持つ核兵器を製造し、備蓄しているのです!

被爆者は、人間性を愛する理由はほとんどないように思われるかもしれません。これがなぜ世界が被爆者達の私利私欲のない訴えを理解できないかという理由なのです。実際、被爆者個人と話してみれば、実に人間らしい反応が見出せます。多くの被爆者は、苦しみや羨望、お互いの嫉妬、疑念、不信感、憎しみにあふれています。しかし、年々、いろいろな感情が入り混じった被爆者の証言に疑いの余地のない事実が出てきます。広島と長崎の公式な宣言だけでなく、一人ひとりが世界に発し続けている無数のメッセージの中には、全人類に関わるテーマが繰り返し出てきます。

合点がいきません!苦しみ、裏切り、恨み、疑念、対立、嫉妬、憎しみと不信感があわさったものが、なぜ許しや他人への温かい思いやりに変われるのでしょうか?全体は部分を合わせたものより大きくなっただけではなく、全く異なった性質のものに変わっているのです!

ただ一つ説明できるとすれば、なぜか、被爆者は、一つの集団として、苦悩の坩堝に身を沈め、恐怖の半生を過ごすという試練を通して、人間の論理的思考や理屈を超えた思いやりの心をもって、姿を現したのです。おそらく、多くの被爆者が無意識のうちに苦しんでいる「なぜ私は助かったのか?」という問いへの応答として、使命感や、私たちを愛し、互いに愛し合うことを求め、私たちを許し、互いに許すことを求める御霊を証ししなければならないという強い衝動が生まれたのではないでしょうか。

3000年以上も前に、イスラエルの神に賛美を捧げた詩篇の言葉を思い出します。「そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。」*旧約聖書 詩編8章5節 新共同訳

希望もなく今も苦しんでいる被爆者を通して、確かに人を顧みる宇宙の力の存在が、明かにされたのです。私は、被爆者に出会った人が、自らも被爆者も、その背後にある力に気づいていないにもかかわらず、新たな希望と献身をもって、このメッセージに応えているのを目の当たりにしました。

その無限の複雑さの中で、全体像が見える人はほとんどいません。さらに、部分の総和よりもはるかに大きいその総体に、ほんのわずかでも気づいている人は、もっと少ないのです。そして、いまだかつて誰も、信仰と希望と愛によって、喜びに満たされて立ち去った人はいないでしょう。

しかし、「信仰と希望と愛、この三つ」は常に広島に存在しているのです。おそらく、もし人が静かに耳を傾けることができれば、特に広島では。もし、ここに平和のセンター(人類の論争の嵐の最中にあって、穏やかなまなざし)が作られ、そこで真実の小さな声が聞かれるなら、広島は終わりではなく始まりだと自ら示すことができるでしょう。

この希望と広島の悲劇の20周年を本当の意味での国際協調の始まりとしたいという願いから、ワールド・フレンドシップ・センターが設立されたのです。

愛を通して献身的に真実を求め、ワールド・フレンドシップ・センターは、人々に必要とされているものと理解が集められ、分かちあえる場であり、そこは、いかなる国、人種、宗教、または政治的信条の持ち主であっても、友愛の精神で他の人たちの意見を尊敬と善意をもって聞き、広島を訪れる人々がここに住んでいる人々と共につくるコミュニティと、緊張や不信感の中にある世界の状況に、愛の法則を実践し試す場所であり続けたいのです。

自身被爆者で、倫理学教授である森瀧氏は、次のように述べています。「精神的な原子の連鎖反応は、物質的原子の連鎖反応に勝る!」と。

ワールド・フレンドシップ・センターは、誤解や不信の垣根を破り、考え方や理想が行き来できる橋渡しをすることに力を注いでおり、世界の端々まですみやかにとどく精神的連鎖反応の始まりになれる場なのです。それが爆発的に起きるとき、信仰と希望と愛からなる永遠の命の灰が、全人類の上に降り注ぐでしょう。

 

出典「さらば 広島」昭和44年7月21日発行
発行者 原田東岷
発行所 広島市基町 広島YMCA内
バーバラ・レイノルズ女史に感謝する会