平和巡礼

広島・長崎世界平和巡礼60周年記念パネル展資料

1964年、広島・長崎の被爆者25名を中心に、総勢40名が世界へと旅立ちました。

その名は「広島・長崎世界平和巡礼団」。

 

一行は、4月半ばから7月まで、核兵器保有国を含む8か国、150都市を訪れ、

被爆の実相を伝えるとともに核兵器廃絶と世界の平和を訴え、各地で大きな反響を巻き起こしました。

巡礼団の資金は乏しく、その道程はけして平坦なものではありませんでしたが、被爆者自ら世界に人々に訴えるという、それまでになかった画期的なプロジェクトの持つ意味は、計り知れないものとなりました。

 

この巡礼団の発案者・推進者こそ、現在の「ワールド・フレンドシップ・センター」の礎を築いた、

平和運動家バーバラ・レイノルズさんその人でした。

 

60年間ひっそりと眠っていた平和巡礼団の「記憶と記録」アーカイブズに再び光を当てながら、

今日の危機的な世界情勢において、「広島ができることは何か」を、みなさんとともに考えたいと思います。

 

※下記の文字がカラーになっている資料については、クリックしていただくと閲覧できます。

準備・出発

アメリカ

ヨーロッパ

おわりに

  • 平和巡礼の75日ぶりの帰国を伝える新聞記事 1964年7月5日付
  • 広島に帰ってきた平和巡礼団の様子を伝える新聞記事 1964年7月10日付
  • 平和巡礼団に同行した中国新聞満井特派員の連載記事 ① 1964年7月10日付
  • 平和巡礼団に同行した中国新聞満井特派員の連載記事 39 1964年8月13日付
  • WFC使節交換の歴史
  • 特別寄稿《バ-バラさんの思い出》 田島 敦子さん
  • おわりに